小さい頃から憧れていた街、ウィーン!ドイツ語圏への挑戦【学生インタビュー#8】
みなさん、どうもこんにちは〜!
今回は筆者と同じ文学部文学科ドイツ文学専攻で、留学に行っていた石黒みさきさんです。インタビュー企画初のドイツ語圏留学の学生です。
Prologue
1.留学前:留学しようと思ったきっかけ、費用、目的。
2.留学中:どんな生活?授業は?大変だったことは?
3.留学後:これから挑戦したいこと。
1.留学前:留学しようと思ったきっかけ、費用、目的。
―交換留学でオーストリアのウィーン大学に10ヶ月行った石黒みさきさんです。よろしくお願いします。費用はいくらかかったんですか?
160万以上かかりました。私は旅行したり、自炊していなかったりしたので、こんなに高くなってしまいました。ちなみに、寮で暮らしてました。
―留学に行く前、留学に対して安全面とか金銭面など不安なことはありましたか?
全然ま〜ったくありませんでした!費用も、自分の貯金と両親の仕送りがあったので。逆に、そんなにお金をかけられなかったので交換留学にしました。
―留学しようと思ったきっかけは?
小学生のときからなんとなく海外に留学に行くことを夢見てました。というのも、親友がインターナショナルスクール育ちで、英語がぺらぺら喋れて、頭も良くて、かっこよくて、その子に憧れてたからっていうのが最初のきっかけです。
―オーストリアにした理由はありますか?
最初は英語圏に行きたいと思ってたんです。でも、ドイツ文学専攻に入学したのに、入学当初からドイツ語を勉強するモチベーションがとても低くて・・・ドイツ語より英語のほうが好きだし、ビジネスの世界ではどうせ使うのは英語だろうって考えてました。でもウィーンっていう街にもともと憧れがあったんです。小さい頃、日曜日の朝に観ていた「明日のナージャ」というアニメがあって、そのアニメ舞台がウィーンでした。だから行ったことはないけど、とてもすてきな街だっていうことは頭にありました。それで、ウィーン大学なら当時の自分が持ってた英語の資格で、ドイツ語の能力が低くても行けそうだってことでオーストリアのウィーン大学に決めました。
―じゃあ留学してこれがしたいなどなにか明確な目的があったわけではなかった?
はい。一応、留学計画書にはいろいろと書いたんですけど、向こうで過ごしているうちにだんだんやりたいことが変わったりしました。
―どういうふうに変化したんですか?
私は最初、教育格差という分野に興味があって、留学先でそれについて学ぶつもりでした。実際、最初の1学期は教育の授業を受けていたし、ゼミも教育を扱っているところでした。ほかにも移民関係のことも興味があったりして、アフリカにおける中国系移民についての授業も聞いたりしていました。
でも2学期目に入ってから、ちょうど良い時間帯に教育の授業があまりなかったんですよね。英語でやってくれる授業があまりなくて、ドイツ語で教育の授業を聞くのはきつそうだと思いました。それで2学期目は日本語とドイツ語の翻訳の授業を中心にとることにしました。
2.留学中:どんな生活?授業は?大変だったことは?
―翻訳ってばりばりドイツ語使う授業ですね。
その翻訳の授業はほんっとうに苦労しました。すごく難しくて、クラスでも私が一番レベル低くて、周りはすごくできるし、しかも院生のクラスだし・・・そういうこともあって、私は翻訳には向かないな〜と。
―翻訳の授業ってどんなことしたんですか?
たとえば、先生が課題で出してきた建築関係の資料を翻訳して授業内で発表させられたり、日本人が作った日本語の文章をオーストリア人が翻訳したり、その逆も。本当に大変でした。
―その授業は何人くらい?
とても少ない10人くらいのクラスで、日本人とオーストリア人が半々だったかな。
―そんな少人数の授業にいたら、だいぶ上達しそうですね。
うーん、もうドイツ語忘れちゃいそうです(笑)やっぱり継続的に使わないと。
―留学した時点ではドイツ語はどのくらいのレベルだったんですか?
私、ドイツ語の資格なにも持ってませんでした!ウィーン大学の留学申請もドイツ語のスコアはなにも必要なくて、英語のスコアだけで申し込めたので。あのときはそれだけドイツ語のモチベーションがなかったんです(笑)
―留学中の生活のルーティンを教えてください。
朝起きて、大学へ行って・・・授業は少ないんだけど、大学が楽しかったのでずっと大学いました。お昼はカフェに行ったり、スーパーで買い物したり。芝生で勉強したり寝っ転がったりしてました。夕方になったらお家に戻るか、そのまま飲みに行ったり。
―向こうでは何して遊ぶんですか?
時間持て余してました(笑)すごく暇だった!
―寮にいたら、友達がいるから楽しそうですけど。
いや〜、みんなそれぞれ活動してるので、そんなに寮の人たちとは仲良くならなかったです。ルームメイトは1学期目は台湾人で、2学期目はコソボ人でした。みんな大学が別々なので、それぞれ大学に友達がいるので各自のコミュニティで外で遊んで、寮には寝に帰るみたいな生活だったのであまり深い関係にはなりませんでした。
―時間割はどんな感じでしたか?
月水金は正規の授業ではないけど、ドイツ語のコースを取ってました。それ以外に自分の取りたい授業を2つくらい。木曜日は授業ありませんでした。それくらいとっても暇でした。1学期目は、一応ゼミをやっていたので忙しかったです。プレゼンも何回もやったし、レポートも何十枚も英語で書きました。でも同じグループの人が優しくて、サポートしてくれたおかげでなんとかやっていけてました。
―留学生でもゼミってあるんですね!
そうですね。留学生もなんでも好きな授業を取っていいので。逆に留学生専用の科目とかはあんまりないです。
―単位は結構交換できました?
一応、すべて単位交換はできたんですけど、もう少し授業を受けておけば良かった・・・今、こっちに帰ってきてから大変です。
―どんな国籍の人たちと一緒に過ごしてたんですか?
オーストリア人が多かったですね。日本語を勉強しているオーストリア人と接することが多かったので。あとはオリエンテーションで出会った台湾人の女の子とは、とても仲良くなりました。
―なにか大変だったことはありましたか?
2人目のコソボ人のルームメイトと生活リズムが合わなすぎたことです。私は遅くても夜中の1時くらいには寝るんです。でも、そのルームメイトはいつもパーティに出かけていて、帰ってくるのが3時くらい。私は同じ部屋にその子と住んでいたので、帰ってきたときは物音がすごく聞こえるわけです。しかも特に音が響きやすい部屋だし、その子もお酒を飲んで帰ってきているから静かにしたりとか気をつけられない。それがとにかくうるさくて・・・でも普段はとても良い子です!私にもパーティを誘ってくれたりだとかしてくれたり!でも文化が違いすぎて一緒に住むのは難しいって思ってしまいました。最後の1ヶ月は我慢ができなくなってしまって、私はその寮を出ました(笑)その寮費を払いつつ、Airbnb(※民泊サイト)を利用して違うところに寝泊まりしていました。
―寮から逃げちゃうくらいつらかったんですね・・・
私も寮から出るつもりはなかったんですけど、両親に電話してこのことを話したら涙が止まらなくなってしまって(笑)両親も、そんなことで残りの貴重な1ヶ月を楽しめないんじゃもったいないから他のホテルに移りなさいって言ってくれて、違うところに移っちゃいました。もちろん、それからは快適ですばらしい毎日を過ごせました!やっぱり自分のパーソナルスペースは確保しないと、ストレスはたまってしまいますね。
―留学中はずっと勉強頑張れましたか?
モチベーションが低くなることはなかったです。ドイツ語は他の大学の学生がものすごくできて、私が1番レベルが低いなって感じていたので、日本にいたときよりも断然モチベーションは上がりましたよ。
―そういうレベルの高い環境に身を置くの、すごく刺激をもらえそうで羨ましいです。
もう本当に恥ずかしいって思いますもん(笑)勉強しなきゃってなります。
―留学先には日本人はけっこういたんですか?
わりといました。音楽大学の学生とかけっこうウィーン大学に遊びに来たりしてて、音楽関係の友達も増えました。
3.帰国後:これから挑戦したいこと。
―留学から帰って来てから、ドイツ語の試験受けたりしました?
それが明日なんです〜!やだなぁ。
―うわ〜〜頑張ってください!もう喋れたりするんですか?
う〜ん・・・私は特にリスニングが苦手で、いくら喋れたとしても、相手が何を言っているのかちゃんと分からないので受け答えが難しいです。だから、リスニングを鍛えてるところです。
―でも現地で生活していたら、リスニングが鍛えられそうですけどね。
方言がすごく強いんです。ウィーンだけではなくて、郊外から来ていたり、他にもドイツ南部やスイスとかいろんなところから来ている人がいるので、それぞれドイツ語に癖があるんです。でもオーストリア人に自分から友達になろうって積極的に声をかけたりして、頑張っていろんな人とお話していました。
―オーストリア人との交流会みたいなイベントはありました?
ありました。毎週水曜日にタンデム会っていうのがあって、オーストリア人と日本人が集まってあるテーマについておしゃべりしたりします。例えば、日本の夏の文化、クリスマスの過ごし方のちがい、とか。そのあとには飲み会があって、お酒を飲みながらおしゃべりしてました。
―ドイツ語って話すの難しそう・・・私もドイツ語を勉強するたびに、書いたり読んだりするので精一杯で話せるようになるのかなって思います。
難しいですよね。だから留学から帰って来てから、このタンデム会のようなドイツ語を練習できるイベントを企画したいと考えるようになりました。まだ場所取りとか留学生を集めたりとか、わからないことが色々あるんですけどタンデム会を開いて、ドイツ語をとおしてたくさんのひとが交流できる場を作りたいです。